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『 天神大御神 』研究編 (神道文化会編 昭和57年4月号抜刷)



およそ、神(かみ)の本質を言挙(議論)することは、畏く慎まれるべきことである。しかし、近来、ことに科学的研究と称して、偏狭な見解の横溢をみるがゆえに、それへの論議が止むなく要請される。「言挙せぬ国にはあれども枉説の言挙こちたみ言挙す吾は」(「玉鉾百首」)。



天照大御神は、古事記・日本書紀などの古典によれば、「日の神」にして、ときに、「み髪を解き、…み手に珠を纏き、…向股に踏みなづみ」、あるひは「驚きたまひ」「怒ります」「喜びて」「新嘗きこしめす」等々、身体的なみ働きを表示される。また、伊勢の神宮をはじめ、出雲の日御碕神社などの祭祀において、ご祭神の大御神に対しまつり、潔斎された食物衣服等が、貴人の坐すがごとく献供され、かつ、朝日または夕日への仰讃が貫かれてある。

しかも、現実に、空に輝く太陽と、地上に住まふ人間とは、まつたく異なる事物と見うけられる。よつて、大御神は、自然神であるのか、または、人格神であるのか、ことに明治後期以降、その論議がつきない。欧米の科学を盲信すれば当然に起こされる疑問であった。  この神格の「二重性」に対し、次のいづれかの調整が、しばしば表明されてきた。一つは、元来は、人間であられたが、その徳が高く大きいので、日光の輝きに準へた、とする。他は、元来は、太陽への崇拝であるが、皇祖への尊厳に結びつけた、とする。その間に、多種多様の解説もあり、また、細密な論究への苦慮も、見うけられた。しかしながら、いづれにせよ、科学として寄りうる事実は、人間であられたか、太陽であるのか、いづれか一方であり、その他方の性格は、事実に基づかず、政策その他の便宜による観念の所産にすぎず、結局はフィクション(虚構)とされることになる。それは、伝統の祭祀および古典に対する冒涜にならないであらうか。

われらは、知らず識らずも、近代的なものの見方に陥りがちである。それは、彼岸ないし天界をあこがれる中世文化への反動として、現実に視られ聴かれ触れられる領域を尊重し、さらに、それのみを事実として執着する。その眼・耳・鼻・舌・身(五官)の感覚の識域は、すべて特定の限界があり、よつて、その対象となる事物も、それぞれ、個別にして一時の存在にすぎない。それ(事物)を観察すれば、さらに、いくつかの要素に分解されうるが、それらをむすぶ生命(産霊)は、まつたく識域外である。したがって、その事実のみを資料として成立する科学は、それがいかに発達しても、それの生命そのものの領域に触れることはできない。よつて、その経験を帰納要約した理論は、資料の増加につれ飛躍ないし変革をつづけるが、つねに仮説にすぎない。すなはち、絶対的真理には絶対にいたり得ないことは、「科学の科学」(近代哲学)自らの告白である。

この現実の見方では、掛替へのない自我も、やがて死亡する一個の身体にすぎない。その自由と平等の伸張、したがつて、その各人の個性の発達への寄与は、近代文化の誇りうる側面であつた。しかし、その「ヒューマニズム(人本主義)」は、また、その「デモクラシー(民主主義)」は、己が個人あつての社会であり、また、自然である。神も、人あつてのそれであり、その逆は無視される。その存在は事実ではないとされ、ただ観念の所産とされる。よつて、神を「人間願望の化身」(フォイエルバッハ)ないし「社会意欲の象徴」(デュルクハイム)として、近代神学も発足した。かく、神は人が思へば有り思はなければ無いとされる所、あらゆる宗教は、その精神生活の「気休め」ないし「阿片」の役割をはたすにすぎなくなる。したがつて、倫理ないし道徳も、その生ける不滅の根拠が見失なはれる。かくて、近代文明の行詰りは、必然の趨勢にある。

これに対し、ものの見方が、是正され、ないし、充実されるべきである。とくに、現実の現象のみに執らはれず、それをあらしめてやまざるもの、すなはち、むすび(産霊)を見(観)、かつ、会得してゆくべきである。

例へば、「野の百合は、いかに育つかを思へ。労せず、紡がざるなり。されど、われ汝らに告ぐ、ソロモンの栄華だに、この花の一つにも如かざりき」(「新約聖書」)。その白く香る花弁が、その緑に撓ふ枝葉が、また、その堅く長い幹基が、黒い土壌と臭い水分から、流通する空気から、さらに、黄金なす日光から、形成されてゆく。その生々化育の働きは、瞬時もやまず、その良知良能は深甚微妙にして、人工人技の及ぶところではない。

しかも、同じ風土の下においても、百合の種は百合となり、萩の種は萩となり、また、桜の種は桜となる。それぞれ、それをあらしめる生命、すなわち、産霊が異なるのである。その根源的な存在として、そこに、みたま(霊魂)がそれぞれ要請される。また、実際に、「六根清浄」をもたらす「みそぎ(禊祓)」等を経て、その高次元の実相がほのかながらも了解されてくる。

この産霊の存在は、「百木百草」その他の生物には限らず、すべて、同じ質料をとりながらも異る形相をもたらすものに、その独自のもの(みたま)が感受されうる。例へば、冷たい雪の一粒一粒にも、六菱の花紋が顕現する。また、どの物質の分子も、その種類ごとに、特定の原子構造となつてゐることを、化学の実験も指摘する。しかし、それ(形相)をあらしめるもの自体は、つねに、自然科学の対象を超えた領域にある。こころ清明となるにつれ、眼前の岩石の一つ一つに、躍動する堅深の気の発散が、程度等の差こそあれ、見られ且つ触れられうる。この土地も、踏みつけ耕される固形物にすぎないものではない。「天地は活物」とした、わが国中世までの感じ方が、近代の唯物論および観念論よりも健康であつたのである。それゆえ、太陽も、また、人間も、その本質的な実態は、その霊魂において判断されるべきである。未だ執着のない嬰児の眼は、それであるが、上述の「記・紀」等の古典には、それの透徹した観察が含まれてある。

近代の進化論は、歴史を逆のぼるほど、人間は幼稚野蛮であつたと、観念せしめる。たしかに、機械化およびエレクトロニクス化の文明は、いまが高度に発達してゐる。しかし、生きとし生けるもの、その生理にせよ心理にせよ、つねにバランスがとれてこそ存続しうる。したがつて、その機能に進化があれば、それと共に、退化したところもあらねばならない。例えば、太古の巨石文化の遺跡が発掘されつつある。その再構築は、現代技術の粋を集めても及ばないものが多く、その一、二の試みは失敗に了つてゐる。古代人の英知が、ことに産霊の感覚が、逐次に又は急激に、衰微してきてゐることに、留意すべきである。とくに、近代の行詰打開のために、五官による識域への執着を超えて、その根源への領域への覚醒がひろげられるべきである。そこに、「報本反始」の祭祀とともに、広義の「禊祓(みそぎ)」および「鎮魂(みたまふり)」等の神習ふ行がまつてゐる。




この大地の上に、人類をはじめ禽獣草木等々が生々化育されてゐる。それをあらしめてゐるものとして、太陽からの光ないしエネルギーが、何人にも容易に弁知されうる。自然科学も、実験を重ねるにつれ、「太陽―それは地上のあらゆる自然現象の支配者であり、生命のみなもとである」(リーダース・ダイジェスト「大自然」昭和五〇年)との「結論」すなはち仮説をたてつつある。しかも、その太陽をして太陽たらしめるもの(本質)は何か。それは、もとより、科学の限界を超えた課題である。

東から上り西に没する太陽は、肉眼から見れば、一個の光焔の珠にすぎない。望遠鏡によるも、未だその拡大にとどまる。その発散する電磁波は、水素がヘリウムになる核の融合反応である、とまでは説明されうる。その一面だけについても、その核を、かつ、その融合反応を、あらしめるもの(産霊)は何か。それは、科学が認識しうる対象を超えた根源領域である。ここに、明治後期における禊祓の一大達人、川面凡児翁の体験に基く指摘を参考としたい。

翁曰く、「太陽とは如何なるものぞと云ふに、人間より客觀ては日の球の如き圓形にして、今日の科學上より説明しても焔々として燃えつゝある世界に過ぎざれども、それは、人間より客觀ればこそ日の球の如き圓形にも見え、また、焔々として燃えつゝある世界とも思はるれども、太陽それ自身として自觀せるときは、決して日の球の如きものでもなく、また、徒らに焔々として燃えつゝあるばかりでもなし」と(川面凡児全集、昭和四十五年、巻四、二八二―二八三)。この翁のいふ「客觀」とは、対象を五官に基いて知覚することであり、また、その「自觀」又は「主觀」とは、対象それ自体になりきって感得することを意味する。この外観と内観とでは、対象の状態が著るしく異りうることを、つぎの平易な譬喩で指摘される。

ついで曰く、「例へば、この地球の如きも、他の金星・水星・火星等より客觀れば、また均しくこの地球より水星・金星・火星等を望むが如くに、この地球もまた水星・金星・火星の如くに客觀られつゝあるのであります。云はゞ、太陽の小なるもので、均しく燃えつゝ、均しく光を放ちつゝあるものであります。然れども、この地球それ自身より自觀れば、決して茫然たる楕圓體なるのみでなく、また徒らに燃え、徒らに光を放ちつゝあるばかりにあらず。あらゆる山河大地蒼海等の存すると共に巌石草木存し、禽獣蟲魚存し、人類の生存しつゝあるのであります」(同上、二八三頁)と。

よって、太陽について曰く、「太陽それ自身に自觀るときは、また均しく徒らに燃え、徒らに光を放ちつゝあるものではありません。均しく、太陽には太陽相應なる山もあれば河もあり、陸もあれば海もあり、それ相當の草木あると共にそれ相應なる生物が存在して居るのであります」と(同上)。もとより、その生物等は、地上のそれとは、環境がまつたく異なる。高温と高圧の領域である。「世、或ひは熱の中、光の中、火の中に、生物の生存し得るべきものではないと思ふもの、なきにしもあらず。否、今日に於いては、猛火極熱極光の中には、總ての生物は死亡すると共に、生存すること能はざるべしと信じて居るのであります。然れども、これまた人間より客觀たる意味の解釋に過ぎないのであります」(同上、二八四頁)。それは、同じ次元の存在ではないが、「太陽界の中に存在するものは、それ相當なる質あり體あるが故に、魚の水に於ける、人間の空氣に於けると均しく、結局、その火その熱その光を呼吸して生活することを得るものであります」(同上)。また、曰く、「水は、人間より眺めればこそ冷たい、寒い、魚より眺めれば冷たくない、寒くもない様に、太陽そのものゝ境に生息するものは、人間の如くに熱くは感じない。人間がこの地球上の空氣を以て無上の滋養とするが如く、魚は水を無上の滋養と呼吸するが如く、太陽の境に生息するものは、また、その人間より眺めたる光●を無上の滋養として呼吸しつゝあるものである」(同上、二二九頁)。よつて「太陽は、なほ、この地球上の如く、太陽には太陽相當なる山あり、河あり、陸あり、草木花鳥あると共に、また、人間に優るところの生物が存在す。その生物とは、即ち、人間より申せば、神であります。その諸有八百萬神を統治しつゝあるのが、天照大神であります」(同上)と。

これに対し、この太陽神界における山川草木等は、現実にわれらが目撃する地上におけるそれらの観念上の投影にすぎない、との主張が少なくない。それに対する批判ないし解答が、また要請されよう。ここに、やや詳しく論及したい。

まづ、われらの感官の識域の限界が心得られるべきである。視・聴・嗅・味および触のうち、最も遠く広くとどきうる視覚についても、無際限ではない。光の波長が〇・〇〇三八ミリ(紫)から〇・〇〇八一ミリ(赤)までの範囲にすぎない。それより短い紫外線も、また、それより長い赤外線も、間接的には、ある程度、認知されうる。また、波長数万メートルのラヂオ、テレビなどの利用も、開発されてきた。しかし、無限大にありうる波長からすれば、その範囲の有限値は、いかに多少とも拡大され得ても、依然として零に等しいのである。また、光の強弱についても、同様である。強すぎても弱すぎても見えないことは、人間に限らず、動物ごとに異り、その限界も測定されつつある。したがつて、「もの(対象)それ自体は認識され得ない」とするカントの断言も、科学の立場からは当然である。

これが聴覚についても、限界のあることが量的にも質的にも確認されうる。人間にとつて、大砲の音は大きい。しかし、そばの木の上の蝉は、平然と鳴いている。これに対し、針が畳の上に落ちる音は小さい。一メートル先に落されても、通常は聞えない。しかし、蝉は、たちまち飛び去る。識域が異るのである。もつとも、静坐(禅、鎮魂を含む)の行に徹しゆくところ、ときに、それよりも微細な音すら明瞭に聞きとられうる。それは、通常の識域を超えた、ふかき実感である。これに対し、地球が秒速三万キロのスピードで太陽の周りを走るとされるが、その音が聞えない。大きすぎるのである。また、一般に音の質についても、人間の耳には、秒間二万振動以上では高すぎて、かつ秒間十六振動以下では低すぎる。すなはち、聞こえない世界が無際限にある。

なほ、嗅覚以下については、その識域の制限は一そう容易に気付かれる。例へば、「廁に居てその嗅を忘れる」等は、日常の経験である。人間よりも犬猫はよく嗅ぎつけるが、材木も敷物も器物も、また、空気も土地も、それぞれ独自の臭ひがあるべく、それを感受してゐては、その神経が瞬時も堪えられるものではない。それぞれの分限があればこそ、現実に生存されうる。  この地上に生きとし生けるもの、それぞれ独自の面目をもつ。同じ食物その他同じ風土の下においても、犬の子は犬になり、猫の子は猫になる。食物等の質料は、「地」に属せしめれば、その形相をあらしめてやまざるものは、「天」に求められる。例へば、「天、何をか云はんや。四時行はれ、百物生ず」(論語)と。しかも、さらに、その生々化育の働きをなす実体実質(高次元)をたどれば、太陽をして太陽たらしめる産霊にいたる。よつて、「お天とう様」として、太陽に向つて礼拝される。それは、いまだ根源的な感覚の気枯ざるところに見うけられる。

翁曰く、「日本民族が太陽を拝するのは、太陽そのものをそのままに拝するにあらずして、太陽の内に於いての主神たる天照大神を拝するのである」(同上、四二〇頁)と。もつとも、それの前段階として、「他観すればこそ、火の玉の如き太陽なれ。太陽自から主観すれば、天照大神である」(同上、二三一頁)とされる。それは、「太陽それ自身が自身の表面の全體をすべて観めたものを意味して云ふのである」(同上、二三二頁)と。これは、国学の基確を築かれた本居宣長翁の表現にも見られる。すなわち、「天つ日」そのものを天照大御神とされる。しかし、これは、物質的な火の玉ではなく、それをあらしめる産霊を指すものと、解釈されうる。

しかしながら、この地球そのものも、その上の生物その他、独自の形相をあらはすものも、それをあらしめる働きの根源が、太陽の産霊のうちに求められる。すなわち、その高天原(たかまのはら)には、それらの原型をなすみたま(霊魂)が実存されて然るべきである。それは、地球に限らず、水星から冥王星までの諸惑星についても、同様であろう。かくて、それら多種多様の「霊(み)魂(たま)、即ち、神」(同上、巻三、七六頁等)が、したがつてまた、その主宰神が、そこに当然に仰望される。翁曰く、太陽の産霊である「天照大神を分観すれば、総観したる天照大神中に分派したる個々分々の小天照大神があると共に、その小天照大神を統一し主宰しつつあるところの中枢主脳たる天照大神がましますのであります」(同上、巻四、二四〇頁)と。すなわち、天照大御神は、太陽そのものではなく、その内にある主宰神であることについては、すでに、その国学を継いだ平田篤胤翁も、指摘されたところである。

ただし、この太陽の「内にある」の表現は、なほ誤解を招きやすい。眼に見える太陽があって、その内部に神ないし霊魂が住まふのではない。本質上は、まさにその逆であらねばならない。すなはち、神霊の「高天原」が、現世の「葦原中つ国」の反映にすぎないのではなく、前者が、高天原の「本つ国」であるのに対し、後者は、その三次元の「写(うつ)し世」にすぎないのである。「(現世に)移り動くものは、(神界の)すべて影にすぎず。(現世に)遂げられるものも、(神界には)果されてあり。(現世に)未だ判らざるものも、(神界には)すでに成つてゐる」。ちなみに、これは、近代文化人にはめづらしく自らの霊魂と問答し得たゲーテの畢生の作「ファウスト」の掉尾の詩(独文)にある、つぎの有名な句で結ばれることも、また、参考になる。「永遠の女性なるものが、われらを(神界へ)導き上げられたまふ」と。

三ノ一

この地球上の修理固成は、人(日止、霊足)の面目とされる。その創造のはたらきは、「天つ神もろもろの命(みこと)もちて」(「記」)であるべきであるが、その社会の中心は、とくに、太陽の主宰神に根差されるべきである。すなはち、「紀」の本伝は告げる、「イザナギの尊、イザナミの尊、共に議りて曰はく、われ已に大八州国また山川草木を生めり。何にぞ天下の主たる者を生まざらめや、と。ここに、共に、日の神を生みます。オホヒルメ貴と号す。この子、光華明彩、六合の内に照徹らせり」、と。

ここに、翁曰く、「大日本国に顕はれたる大日霊(オホヒルメ)尊は、太陽における根本主体としての天照大神の和魂(の顕現)なり」(同上、二八六頁)と。さらに曰く、「この地上における高天原の天照大神は、太陽界の天照大神の分身分体としての天照大神となりまする。即ち、分身分体なりと雖も、均しくこれ天照大神たることには相違ないのであります」(同上、二八六頁)と。

つづいて、「紀」の本伝は云ふ、「故れ、二神、喜びて曰はく、あが息多なりといへども、未だかく霊異なる児はまさず。久しくこの国に留めまつるべからず、自らまさに早く天に送りまつるべし、とのりたまひて、天上の事を授けまつりき。このとき、天地相去ること遠からず、かれ、天柱をもて天上に挙げまつりたまひき」と。翁曰く、「太陽界を主催する天照大神の和魂が、伊邪那岐神に天降り、更に遷りて伊邪那美神に宿りつつ現れ出でたるもので、地上に於ける天照大神である」(同上、二九二頁)と。そして、この地上の「天照大神には、今や己に、その直霊は、太陽界の天照大神の直霊に復帰ましまして、太陽界に於ける天照大神となりつつあると共に、その和魂は、また伊勢の大廟に神留神鎮まし、その和魂としての分魂は、宮中の賢所を始めとして、日本五千万乃至七千万人の家々に祭るところの大麻に宿りましつつあるのであります」(同上、二八六頁)と。

また、「記」および「紀」の一書には、イザナギの尊が、禊祓を果されて、「ここに、左のみ目を洗ひたまひしときに成りませる神のみ名は、天照大御神」とある。およそ、眼目は、光明と密接する。翁曰く、「さてまた、〔イザナギの〕大神が、左の目を洗ひ給ふ時に、天照大神の誕生ましたりとの意味は、太陽の光が大神の左の目に宿りきたれり、との意味である。光とは、客観したる名称にして、光それ自身が主観する時は、霊である。太陽の霊が、大神の左目に宿り来りたりとの意味と知るべし」(同上、二八二頁)と。また、「紀」の一書に云ふ、「イザナギの尊、……左のみ手をもて白銅鏡を採りたまふときに、則、化生りませる神あり、これ、オホヒルメの尊とまをす」と。およそ、鏡面は光明を反射する。この伝承は、前の二伝とも異るやうであるが、みたま(霊魂)のあり方を弁へうれば、相容れないものではない。翁曰く、「『共生の傳』は身の生れ給ふところを示したるものにして、『白銅鏡の傳』は魂の發生するところを示し、『洗左目の傳』は霊の宿り來ところをしめしたものである。例へば、人身の生る時は、父母の共生するところにして、その身の生るゝ前はいかにぞと尋ぬるに、日月の光が鏡に映り淳るが如く、母の胎内に先づ以て魂が淳り止りたるからである。さて、また、その魂の母の胎内に淳り止る前はいかにぞと尋ぬるに、全く外より宿り來るものとは何ぞ、人間萬有の根本たる霊と云ふものである」(同上、二八〇頁)。このやうに、「已にこの靈と魂と身との關聯終始するところを承知せなば、身の生れ出づるを傳へたる『共生傳』、魂の止まるところを傳へたる『白銅鏡傳』、霊の來り宿るところを傳へたる『洗左目傳』は、始終關聯一致して、何等の矛盾衝突するところなきに非ずや。かくの如き精細幽玄にして崇高森厳嚴なる傳は、世界廣しと雖も、東西古今を尋ねて、それ將た何くにかある。何と世にありがたき神事ならずや」(同上、二八一頁)と。

なお、現実の事実としては(クオ・ファクティ)、人の「からだ」に「みたま」が宿るとされるが、産霊ないし本質としては(クオ・ユリス)、その本末が逆である。すなはち、高天原からの直霊にすべられる奇魂、幸魂および和魂の下(外)に位する荒魂だけについて、五官に感覚される領域が、肉体とされる。それの生理の機能をたどつて見るほど、その良能良知に讃嘆させられるが、その根源は深く高く、その内容ははるかに豊富に仰がれるものである。

ちなみに、天照大御神の荒魂が、内宮の荒祭宮に、また、広田神社(西宮市)に奉斉されてある。翁曰く、「地上にあらはれし天照大神の御荒身魂は、荒祭の宮に斎き奉り居るので、……伊勢神宮の裏に於ける荒祭宮がそれなのである」(同上、巻六、三六六頁)。上述のやうに、そのご本殿の「御鏡には、天照皇太神の御和身魂の宿りまし居るものにして、……而して、太神の直霊は日の大宮に御帰り在らせ居るのである」(同上)。「これを平易に現代の言葉を用ひて説明すれば、根本意識は太陽に復帰し、意識は御鏡に宿り、屍は荒祭の宮に宿り居る」(同上、三六七頁)とされる。また、「天照皇太御神の荒身魂は、…心広田の神宮に御鎮りました」が、「荒身魂も、また、その必要と共に、分靈分魂しつつあるのである」(同上、三九九頁)。「その荒身魂は、御代々々毎に(内宮ご本殿の)御鏡に顕はれ出でて、天照皇太神の御和身魂と感応道交坐しましつつあるの事実」を、さらに、「天皇の玉體が直ちに天照皇太神の御継体的荒身魂なる」(同上、三九九頁)ことを、その霊魂観をもつて指摘してゆかれる。


三ノ二

周知のように、太陽系に所属する惑星は、地球だけではない。金星、火星、木星等にも、修理固成の働きがあれば、その「天下之主者」(「紀」)も、それぞれ定められてよい。しかし、高天原において、わがオホヒルメの尊は、とくに、この地球上において生成するもののみたまを知ろしめす。よつて、わが古典は、つづいて告げる。そこに、スサノヲの尊が「青山を枯山なす泣き枯らし、河海はことごとに泣き乾し」(「記」)て参上られ、誓約が行われた。そこで、この天照大御神の物実を「さがみにかみて、吹き棄つる気ぶきのさ霧に成りませる神」(「記・紀」)、アメノオシホミミの尊たちは、すなわち、また「地」の大気をもうけられて生まれし、なほ、その下界の「荒ぶる国つ神たち」を「言むけ」て(「記・紀」)のちに、その御子ニニギの尊の天降りとなられた。

ここに、「皇孫、すなわち、天のいはくらを押しはなち、かつ、天の八重雲をおし分けて、いつのちわきにちわきて、天降ります」(「紀」)。この「天孫降臨」も、その言葉どほりに了解され得、また、されるべきである。高次元の高天原から三次元の葦原中つ国への顕現には、その神霊が光身から肉体をとるまでの過程に、ことに規模が大きいので、多くの段階と時間を要せられたのであらう。川面翁は、その解説は書き残されなかつたが、「まとこお衾を覆ひ」「天の浮橋に立ち」「浮きじまりそり立たして」等には高度の実態があり、また、それゆえに「人皇」第一代までの「神代」がそれ(天降り)からも相当に継続したのである。

もつとも、「天降り」は、この皇孫の高千穂への下降だけに限られるものではない。「記・紀」だけによつても、それ以前に、ニギハヤヒの尊の大和国への天降り、三女神(タゴリヒメ、タギツヒメ、イチキシマヒメ)の筑紫州への天降り、また、スサノヲの尊の出雲国への天降り、イタケルの神たちの韓国への天降り、等々が列挙される。また、海外の諸神話にある天孫降臨の伝説も、その民族の魂が独自の文化に貫かれるところ、必ずしも空想のみと見なされ得ないものがる。さらに、動植物の種の起源も、現実の環境における適者生存の条件が「縁」となるとともに、それぞれ独自の突然変異をなす「因」は、科学としては、偶然としか、つひに答えられないが、産霊において、そのみたまの降下にこそ求め得られる。しかし、そのうちにあつて、現世の修理固成の中心としての天照大御神の直系の霊継をうける高御座は、神ながらも唯一無二に厳存されるであらう。



上述のやうに、ものをその現実の形態だけではなく、それの本質にふれて見てゆくならば、天照大御神は、日の神にして、且つ、皇祖にて坐ます。それは、根源の事実として、認識ないし会得が求められるのである。

なほ、その絶大なご神徳の一端について、これまた俗説が案ぜられて、いかに付言を許されたい。  天照大御神の主宰される太陽は、地球にとつては母体とみられうるが、天の川(銀河)のうちにある一億以上の恒星の一つにすぎない。さらに、その銀河系宇宙も、大宇宙の無数にある星雲の一つにすぎない、とされる。それゆえ、この女神は、全知全能なる「天地の創造主」ではなく、始めからその見方が異る。わが「記・紀」等の古典も、この「日の神」の出現前の根源神たちを冒頭に掲げてある。のちに、「別天神」とも云はれる。また、「高天原」における「天照大御神」の制約されたみ働きが具体的に表明される。ことに、「大嘗きこしめす」は、そこに祭祀される祖神がさらに坐すことである。また、天孫降臨などの重大な意志決定には、タカミムスビの神の後見ないし垂示がうかがはれるのである。

よつて、翁曰く、「吾人人類は、…………一太陽系的光明普照十方世界的の天照大神たるを以て満足するものならず、更に、尽宇宙的稜威普照の大天照太神たらざるべからざるものぞや」(川面凡児全集、巻五、一九八頁)と。したがつて、宇宙根本神たるアマ(メ)ノミナカヌシの神までの透徹を強調されたのであつた。

しかし、四方上下の空間(宇)も、此処に基づき、また、過去未来の時間(宙)も、今に納まる。すなはち、宇宙の「中今」において、自らは人間として地上に立つ。それをあらしめる生命(産霊)の根源を覚り且つ仰ぐべきである。かくて、それぞれ、み祖(おや)の神の奉載へと導かれる。とくに、太陽の恩恵は、同じ地面の他の他の生物等にとつても、直接または間接に莫大である。その大祖神の稜威は、「光華明彩、六合照撤(紀)」。そのみ働きをたどれば、さらに大宇宙からの産霊に限りなく根差される。よつて、翁曰く、「家にある御霊代(大麻)の天照大神を信ずれば、その信仰は、直ちに、賢所の天照大神に通じ、伊勢大廟の天照大神に通じ、太陽界の天照大神に通じ、更に、天御中主神としての大天照大神に通ずるものである。日本人は、天照大神を拝すると共に、その伊吸伊吹の天照大神に向かつて実行すると共に、常に、天照大神の照鑑の下に天翔り国駆るべく覚悟なしつつある」(同上、巻四、二九二―二九三)。なお、日本人に限らず、「人類としては、特に、天照大神の稜威を尊みてこれを拝し、これを祭ることを怠るべきものではない」(同上、二九三頁)とし、朝夕、「天照大神を拝し」、世界平和を祈念すれば、富貴にもめぐまれる功徳を、ながく付言される(同上)。かつ、曰く、「天照太神の御一體を祀り奉れば、天御中主太神、生産靈神、足産靈神、玉留産靈神、高皇産靈神、神皇産靈神、天津神、神留岐神、神留美神、伊邪那岐神より御代々々の天祖、皇祖、皇宗、歴代天皇と、百八百萬の天津神、國津神を齊き奉るものとなるのであります」(同上、巻六、三七三頁)と。また、実際の川面流祓禊における祭典の独自の祝詞においても、造化三神をはじめ神々のみ名を称へまつりて、最後に、次の言葉で締めくくる。「大天照太御神、太神大神みいつかがやく尊しや(三唱)」と(同上、巻八、三〇、三八、五〇、六三頁)。

ことに、われらは「天地の化育に賛ずる」人として、この世の中に活躍する。その修理固成の中心たるべき「天つ日嗣(ひつぎ)」の厳存には気付かれるべきである。かねて霊魂の「実質実体」と指摘しかつ解説される翁は、天つ神からイザナギの尊への「天沼矛」、その天神から天照大御神への「御頸珠」、および、その大神からニニギの尊への「御鏡」、その畏き物実の継続的な権威を繰返へし指摘される(同上、巻六、三六一頁等)。その聖なる系統を簡潔に表明して、その道筋を継ぐ今泉定助翁曰く、「天地創造の天御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神の御神徳と、修理固成の伊邪那岐神の御神徳とを綜合継承遊ばされた天照大御神より連綿として今日に至らせ給ひ、大嘗祭によつて天照大御神そのまゝの御方とならせ給ひ、天照大御神の御心を御心として、国政を知ろしめす、天津日嗣の天皇」(「今泉定助先生研究全集」巻三、四三四―五頁)と。なほ、川面翁が「大天照大神といふ不思議な名称を用ひてゐるが、大の字は不要である」(同上、一六二頁)と断定された。  この「すめらみこと」の意義が、ことに日本人に悟られるべきである。しかも、現実は、「達れる者は少ない」(紀)。いつも、誠忠の「楠氏一門」は少数であり、功利打算の「尊氏一派」は多数である。多勢に無勢で圧倒されるのが、「うき世の常」とされる。それにもかかはらず、産霊の厳存するところ、その御霊は多少とも顕現されてやまないのである。わが国の歴史の背後に貫くものが、慎重に諦視されるべきである。それには、ものの見方が、唯物論や観念論から深められ浄められてあらねばならない。

いまや、従来の文化の行詰りによる苦悩は深刻である。その罪、穢れを解除して、真の平和、福祉および繁栄の社会にみちびきうるものが、どこにあるのか。わが宮中各神社および民衆の間で、ながく奉唱されてきた「大祓詞」に留意してみる。冒頭の「神ろぎ・神ろみの命もちて」から「天降し依さしまつりき」までの二百五十音にわたる言葉には、文法上の主語がない。その主体の存在は、つとに親しまれて、自明のこととされる。言はまくも畏き天照大御神にあらせられる。そのご稜威による「天つ宮事もちて」こそ、「天下、四方の国」の生活等の光明化も、ここに期待されうるのである。
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